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岡山地方裁判所 昭和41年(ワ)405号 判決 1969年6月30日

原告 貞光弘 外一名

被告 国

訴訟代理人 村重慶一 外三名

主文

被告は原告らに対し各金五五万円およびこれに対する昭和三八

年七月二七日から右支払ずみにいたるまで各年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告らが各一五万円の担保を供するときは、当該原告につき仮に執行することができる。

事  実 <省略>

理由

一、昭和三八年七月二六日午後六時四〇分頃、原告らの長男である訴外亡貞光久史(当時満四才七ケ月)が岡山市中島町所在、旭川にかけられている「京橋」を通行中、欄干の方にかけよつた直後、右欄干の支柱と支柱との間から川の中に転落して、溺死したこと、「京橋」は国道二号線が旭川と交差する箇所に設置された橋梁で、当時中国地方建設局岡山工事事務所が管理していた国の営造物であることはいずれも当事者間に争いがない。

二、<証拠省略>ならびに弁論の全趣旨を綜合すると、「京橋」と旭川の水面との距離は約八米あること、橋梁上には中央に市内電車の軌道が通じ、車道の両側に幅二〇糎の側溝をへだてて幅員一八〇糎の歩道があり、その外側に御影石でつくられた本件欄干が設置されていたこと、車道、歩道はともに舗装され、附近は商店、住宅が密集し、自動車の往来はふくそうし、歩行者の数も少くないこと、本件事故当時における本件欄干の構造、形状は別紙略図記載のとおりであり、もとは御影石の支柱と支柱との間に二本づつ鉄製の格子がはめこまれていたが太平洋戦争中、鉄類の供出のためとりはずされたままになつていたこと、訴外亡久史は本件事故当日、姉喜美枝(当時満一〇才)および訴外角森喜久代(当時満三〇才位)に連れられて銭湯へ行くべく橋の東詰から南側歩道を歩いて渡橋中、船を見ようとして欄干の方に走り寄つた直後、一瞬の間に、体の平衡を失つて、右欄干の東詰より数えて第四三番目の支柱と支柱との間から約八米下の川の中に転落したことがそれぞれ認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

国家賠償法第二条第一項にいわゆる「公の営造物の設置または管理に瑕疵」があるとは公の営造物の建造およびその後の維持、修繕等に不完全な点があること、すなわち営造物が通常備えるべき安全性を欠如していることを意味すると解せられるところ、本件「京橋」が国道二号線の一部をなし、附近は人家の密集する市街地で、多数の車輔、歩行者が通行する場所であること、しかも橋梁と川面とは約八米の距離があることなど前記認定のような場所的環境と橋の利用状況を考えると、本件橋梁は通常予想されうる転落事故などの危険発生を防止するために必要な欄干等の設備を設置することによつてはじめてその通常備えるべき安全性をもつにいたるというべきである。

ところが本件欄干は前記認定のとおり、戦時中の鉄製品供出のため、本件事故当時は別紙図面のように支柱と支柱との間に縦七三糎、横六六糎の空間があり、幼児ならかんたんにその間を通過することができる状態のまま放置されており、右事実に多数の通行人の中には危険の観念や危険に対処する行動力において劣る幼児のあることを併せ考えれば、これらのものが独りで、あるいは同行する監護義務者の手を離れて、欄干に近寄り、台石や舗道に足をとられるなどして体の平衡を失い、右空間から川の中に転落する事故が発生するかもしれないことは容易に想像されるところであるというべく、決して通常予想できない異常なできごとであるとは考えられない。したがつて右本件事故当時における欄干の構造、形状はいまだ通常予想されうる具体的な危険の発生を防止するに足りる施設であるとは解されず、かかる防災設備を備えないままに放置されていた「京橋」はその管理に瑕疵があり、本件転落事故は右瑕疵に基因して発生したものであるといわなければならない。したがつて被告は国家賠償法第二条第一項の規定に基き、訴外久史および原告らが本件事故発生によつて蒙つた後記損害を賠償しなければならない。

三、ところで<証拠省略>によれば、原告ら家族は「京橋」附近に居住し、本件欄干の危険であることを熟知していたこと、事故当日訴外亡久史(満四才七月)は姉喜美枝(満一〇才)とともに近所の訴外角森喜久代(満三〇才位)に連れられて銭湯へ行く途中、同女らの一米位前を歩いていたが、船を見ようとして急に欄干の方へ走り寄り、その直後転落したものであること、原告らは本件欄干の危険であることおよび濫りにそれに近寄るべきでないことについて久史らに特別の注意を与えていないことがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。右事実に徴すると、原告らとしては平素から本件欄干が危険な状態にあり、「京橋」を通行するときには濫りにそれに近づかないようにすべきことを子供らに厳重に注意しておくべきであつたのに、これをしなかつた親権者としての監督上の過失があり、次に喜美枝は両親のいないところでは弟たる久史を保護監督すべき立場にあり、また同女は当時すでに満一〇才(小学校五年生)に達し、事理を弁識するに足る知能を具え、かつ久史が危険な欄干の方に近寄らないようにあらかじめ注意を払つて同人を抑制できたにもかかわらず、これを怠つた過失があるというべく、もし原告らおよび喜美枝が右の注意義務を尽くしていれば、久史を本件事故による災害から防止できたのではないかと考えられるので、本件事故の発生については原告らおよび喜美枝の右過失にもその原因の一部が存在するといわざるを得ず、右はいずれも被害者側の過失として被告の支払うべき損害賠償額について掛酌されるべきものであると解するのが相当である。なお被告は本件事故については久史ならびに角森喜久代の過失にもその一因があり、損害額算定にあたつては右過失をも斟酌すべきであると主張する。しかしながら民法七二二条二項の過失相殺をするにあたり、被害者である未成年者に行為の責任を弁識するに足りる知能が具わつていることは必要といえないけれども、少くとも事理を弁識するに足りる知能が具わつていることを要すると解すべきところ、当時満四才七月であつた久史に右事理を弁識しうる知能が具わつていたとは認められず、また同条項の過失相殺をするにあたり勘酌できる被害者側の過失とは被害者本人と身分上、生活関係上一体をなすとみられる関係にある者の過失をいうものと解すべきところ、角森喜久代が右関係にあるとは考えられない。

四、そこでまず訴外久史が本件事故によつて喪失した得べかりし利益につき考えるのに、同人が死亡当時満四才七ヶ月の男児であつたことは当事者間に争いがなく、原告貞光敏江本人尋問の結果によれば久史は健康な男児であつたことが認められ、右認定に反する証拠はなく、第一〇回生命表によれば満四才の男児の平均余命は六三・二七年であるから、同人は本件事故に遭遇しなければ、事故後なお右平均余命年数の間生存することができたものと推認され、特段の事由のない本件においては、その間少くとも満二〇才から一般民間企業の定年である満五五才に達するまでの三五年間はなんらかの職業について稼働するものと推認されるところ、労働大臣官房労働統計調査部賃金統計課作成の「賃金構造基本統計調査報告」によれば、昭和四一年度の主要八産業における民営公営企業での男子労働者年令階級別平均月間現金給与総額の年令二〇才から二四才までのものは二万七九〇〇円であることが明らかであり、訴外久史は前示稼働期間中、右企業内で少くとも右平均額の賃金を受取り、その二分の一を自己の生活費に消費するとみられ、これを差引いた純収入を得るのであろうことが推認され、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで右稼働利益につきさらにホフマン式計算により一年毎に民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除して事故当時の現価に換算すると原告らが本訴で主張する一五四万七三〇円を下らぬ金額となり、訴外久史は本件事故によつて少くとも右と同額の損害を蒙つたことになるが、前記被害者側の過失を斟酌するとそのうち被告が支払うべきものはその約二分の一である七八万円とするのが相当であると認められ、したがつて原告らは訴外久史の相続人として同人の右被告に対する損害賠償債権を法定相続分にしたがつて二分の一である三九万円ずつ相続したことになる。

五、次に本件事故によつて原告らが受けた損害について判断する。<証拠省略>によれば、原告らは本件事故によつて愛する長男を失い深刻な精神的苦痛を受けていることが認められ、右事実および本件事故の態様その他本件にあらわれた一切の事情(但し被害者側の過失を除く)を考慮して、原告らの右精神的苦痛に対する慰籍料は原告らが主張する各六〇万円を下らぬと考えられるところ、前記被害者側の過失を斟酌するとそのうち被告の支払うべきものは原告ら各自につきその二分の一である各三〇万円をもつて相当とする。

六、したがつて被告は原告らが本訴で請求する前記四の損害賠償金のうち各二五万円と前記五の慰籍料各三〇万円の合計各五五万円および右各金員に対する本件事故の翌日である昭和三八年七月二七日から完済にいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を払わなければならず、原告らの本訴請求はいずれも全て理由がある。よつてこれを認容し、仮執行免脱宣言はこれを付さないこととし、民事訴訟法第八九条、第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(東条敬)

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